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本を出版しました!  楽天市場 東京の「痕跡」解説

地上の地下鉄

  

帝都高速度交通営団

地下には謎があって色々空想してしまいます。が、地上にもこんなところが・・・

地下と未成線の不思議と謎

東洋初の地下鉄

銀座線 1000型1001号
台車は履き替えられていたが元のと同じタイプに戻されたそうです。

年月日 yuuki撮影

渋谷車庫

1253
浅草寄り2両目はシルヘッダー付き車でした。元先頭車で運転台撤去T車。
車内も屋根を見ると半室仕切の跡が残っていた気がする。
銀座線はポイントとかで室内灯が1両ずつ消えるのが良かった。

1984年? yuuki撮影

ここが銀座線の末端部

2077&2119
左の道路はこの時点でバス専用道でしたが、
なんと実は「玉電」の廃線跡です。

1984年? yuuki撮影

道玄坂

現在の同所です。
左の通路が渋谷マークシティ4Fへの通路。
右のバス専用道路は5Fから出るエアポートリムジンバス用
現在は渋谷マークシティの下に京王線と銀座線車庫があるわけです。

2006年04月23日 yuuki撮影

京王帝都電鉄井の頭線渋谷駅

さよなら緑の電車1000系 デハ1054

左の道路は先出のバス専用道です。
「玉電」の廃線跡です。東急百貨店二階から発着していました。
玉電は世田谷線を残し地下に潜って東急新玉川線→田園都市線になりました。

左端に銀座線の車庫が見えます。

1984年03月04日? yuuki撮影

1356

京王渋谷駅ホームから車庫の銀座線が撮影出来ました。
現在は渋谷マークシティの2Fの中にあり外は見えません。

1984年? yuuki撮影

  

地下鉄廃線跡

東京の地下鉄には廃線になった線路があるんですよ。

都営浅草線跡

東京都大田区、西馬込からの旧工場への引き込み線跡です。
西馬込の南側にある方ではなく、北側のR1号近くです。
トンネルから出てきて踏切が3連ちゃんです。畑があったり、地下鉄とは思えないような。
西馬込駅は昭和43(1968)年開業です。
この時は工場建物が残っていましたが今はないようです。

2004年08月14日 yuuki撮影

  

地下鉄廃駅

純粋な地下鉄の他、鉄道会社の地下駅跡も紹介。地下なので結構撮影しにくいです。

萬世橋駅跡

銀座線にもかつて仮の駅として万世橋駅がありました。
神田川下の工事が終わるまでの駅(1930-31年)でしたが、当時のターミナル近くだったので乗降客もいたようです。

地下駅への階段は石丸電気1号館前にありますが、現在は見にくくなっています。

神田から末広町へ向かう電車からはこうなります。
神田駅を出発し、右カーブを過ぎるとアーチ型のトンネルになります。
ここが神田川の下です。そして、左にカーブします。
A線B線の間の壁が無く、天井の高い空間に出ます。ここが万世橋駅跡です。
浅草行き線路脇に柱が並び奥に空間があります。
ホームは仮設の木製で今の浅草行き線路路盤上にありました。列車は今の渋谷行き線路位置での折り返し。

2006年 yuuki撮影


新橋駅跡「幻の新橋駅」

渋谷からの東京高速鉄道は、上野からの東京地下鉄道の新橋駅(銀座線新橋駅)への乗り入れに反対されて一旦ここに駅を作りました。
その後しばらくして東京地下鉄道の新橋駅に乗り入れ、東京高速鉄道の新橋駅は使われなくなり幻の駅となりました。
このホームは今も残っており、銀座線の留置線代わりに使われています。16m車6両編成は入りきらず半分程度がホームに入ります。
現在は何かのイベントに合わせてペンキを塗り替えて綺麗になっています。いかにも廃駅だった感じはなくなり幻って感じがなくなってしまいました。

場所は新橋駅西端(虎ノ門方)券売機の裏にあります。現在の銀座線ホームB2F(東京地下鉄道)より高い位置です。
終端部は券売機のある事務所横の通路を進んだ突き当たりのステンレス扉の位置です。ここがイベントとかの出入り口。
現在の銀座線浅草方面ホームは1980年代に作られたホームです。元々は島式1本。

向こうに本線を走り去る銀座線のテールランプが見えます。

1989年09月16日 公開時yuuki撮影


青山六丁目駅跡(表参道旧駅)跡

銀座線表参道駅ホームは千代田線の開通で外苑前駅側に移動しました。
しかし、今でも渋谷寄りに旧ホームが続いています。
開業時は「青山六丁目」、その後「神宮前」、そして「表参道」と変わりました。

浅草行き5番ホームから渋谷行き4番ホームを撮影。
4番から5番は何故か柱が邪魔で写しにくいが見えます。

2006年04月15日 yuuki撮影


博物館動物園駅

此処が噂の博動。切符売り場兼改札はこのような小屋でした。
地上の駅舎は今でもそのまま残っています。地下のホームは色々撤去されていますが残っています。

1997年02月24日 ユウキ撮影

もっと見たい方は、博物館動物園駅のページへ!


寛永寺坂駅跡

日暮里寄りには階段もそのまま残っており上には「口出」の行灯も残っています!
凄いですね、戦前の書き方ですよ!

この画像を撮影した時は日暮里駅工事関係の?工事トラックがホーム跡に停めてありました。
ホーム自体は無くて空間と壁が残ってます。

2007年08月 ユウキ撮影


日本一細いホーム?

改築前の阪神電鉄春日野道駅です。
廃駅ではないけど、画像の日本一は閉鎖されました。

当初作る予定じゃなかった駅なのでこんな細い島式ホームに。
2004年09月からトンネル外側に相対式ホームを作り、そちらに移転しました。

2003年10月04日 yuuki撮影


東京モノレール・羽田駅

旧空港時代末期の撮影です。

1993年9月yuuki撮影

空港移転により廃駅。廃駅跡は土で埋めてしまったそうです。


幻の熱海モノレール跡

熱海駅前のビルの地下にはモノレール駅を作る準備がされたらしいです。
B1Fは駅前地下通路から入る事が出来、ビルの裏からは地平になります。
B2Fは画像のように天井が低く、コンコース予定にしても狭い?機器室用?
B3Fが駅ホーム予定だったのでしょうか? それともB1F?

2007年04月 ユウキ撮影


京王帝都電鉄・初台駅跡

京王新線が開通したため、それまでの京王線の初台駅は廃止になりました。
今も地下区間にホームが残っています。
京王デパート?かなにかの工事の後ホーム跡は短くなりました。

2003年09月15日 yuuki撮影


池袋仮駅跡

ホームの下部が残ってます。対向式だったのでしょうか。
1954年〜1960年まで、ここが丸ノ内線の駅でした。
当時は3両編成でした。

2008年06月 ユウキ撮影


 廃駅関係をもっと見たい方は、東京の廃駅のページへ!

  

政府専用極秘地下鉄

国会議事堂地下一階方向から、一般人が乗れない線路が降りてきて丸の内線に合流する。

国会議事堂の地下

丸ノ内線を国会議事堂前駅から赤坂見附駅へ向かうと、
駅途中から右カーブし、上下線間の渡り線を通り、その後単線状態で右カーブになる。少し直線が続き、また右カーブ。
そして左手の銀座線渋谷方面に近づき、銀座線とのポイントを通過してB1Fの赤坂見附駅に到着する。
池袋方面、浅草方面はその下のB2Fになる。
赤坂見附駅は戦前の銀座線開通時点ですでに四ッ谷方面分岐用に作られていた。

この区間を丸ノ内線の最後部から眺めてみてください。
カーブとカーブの間の直線でカーブのイン側(後ろ向きで左側)に左上から降りてくる線路が見えます!
そう、その左上への線路の先は国会議事堂地下一階! 
 自著東京の「痕跡」に白黒ですが写真載せています。

戦前はまだ道路は未舗装、バス車輌は低速で貧弱だった時代、非常用に鉄道線が引き込まれていたとしても不思議ではありません。


改描の謎

なんてミステリアスな光景。本当は池袋方面の線路が下から横に出て上がってくる場所の上部空間利用の保線用引き込み線だが。
しかし、ここは地図の改描で有名な場所。(下記に紹介する秋庭氏書籍で改描だと指摘)
たしかに、ほとんど全ての地図では丸ノ内線が山王日枝神社とキャピトル東京ホテルの敷地内を通っているが、実際は違う。
道路の下を通っているのだ。さらに丸ノ内線は千代田線ホームで二回交差している。

丸ノ内線は国会議事堂前駅途中から右カーブし、複線アーチ型のトンネルに入るのだがここはシールド工法で作られています。
実はこの下に千代田線のホームが後から出来た。
そして丸ノ内線は赤坂見附駅の上下二階建てホームに入るため路線は捻れて行きます。
この捻れる所から赤坂見附駅は上から掘ってますから線路の上は掘った形になるはずで、神社の山の下を通るはずはない。
左の写真がちょうど上の写真と線形が同じです。左歩道部分が謎の側線がせり上がる部分。2006.12.02.撮影

ビートルズ宿泊で有名だったキャピトル東急ホテルは旧東京ヒルトンホテル(地上十階・地下四階:1963年開館−2006年11月閉館)
山王パークタワー(地上四十四階・地下四階)は旧山王ホテルであり、二・二六事件で占拠されていた。

戦前は? 

赤坂見附駅は戦前の銀座線開通時点ですでに四ッ谷方面分岐用に作られていた(銀座線規格でですが)。

実相寺昭雄氏

実相寺昭雄氏と言えばウルトラマンなどの監督をして有名だったが、JTBから「昭和電車少年」(2001)と言う書籍を出している。
この冒頭P.6で赤坂見附駅の様子が述べられている。
まだ銀座線しかなかった時代、赤坂見附駅は上下二層の駅でホームの向こう側には闇の空洞が広がるばかりだったそうだ。
この時点では未成線だったわけだがすでにトンネルがあった事が知られていた訳です。


これが改描の見本

メトロ溜池山王駅にある地図です。上が西方向です。
大抵の地図はこの図のように丸ノ内線が山王日枝神社とキャピトル東急ホテルの敷地内を通っています。
しかし実際は薄い点で書いたルートを通ります。
国会議事堂前駅の地図では上下が違う絵だが丸ノ内線が少し正しく書いてあります。駅によって違うのも変ですね。

南北線溜池山王駅と千代田線国会議事堂前駅は連絡通路により改札を出ることなく乗り換えが出来ます。
この連絡通路も微妙な形で幅が変化しています。丸ノ内線が真上を横断しているからでしょう。

ちなみに丸ノ内線国会議事堂前駅の地表はかなり高い場所にあり、溜池山王駅は低い位置にあります。
溜池山王駅では、銀座線、丸ノ内線の下に千代田線があるが、その間を後から出来た南北線が横切ります。かなり狭い間を。
銀座線はわざわざ線路を複々線のように広げて外側に移し、内側に島式ホームを後から設けました。異常です。
旧線跡はホーム両端に残っています。

上は上屋敷跡

2006年12月15日、衆議院新議員会館建設予定地から発掘した二本松藩上屋敷跡が報道公開された。
丸ノ内線はシールドトンネルだったので壊されなかったのでしょう。
もし本当に政府専用地下鉄が有ればこの真下を通ったはずだが。


そこには秘密の地下鉄が

ガラスの仮面で有名な美内すずえの1981年作品「妖鬼妃伝」を思い出すような光景。

2006年07月 ユウキ撮影

  

上越新幹線新宿駅は存在した?!

上越新幹線は大宮から分岐して新宿に向かう計画でした。
東北新幹線の途中に分岐させる為の構造物とかの痕跡があります。

新幹線新宿駅の場所はJRの地下とか高島屋タイムズスクエアの地下という噂だ。

新宿B2F

京王新線(都営新宿線)ホームはB5FにJRに直交する形であります。
新幹線はJR在来線の下に作る予定だったので、深い位置になりました。
(高島屋タイムススクエア地下という噂もあるけど)
B4Fは大江戸線乗り換え階です。
おそらく、B1Fの層は小田急地下ホームや丸ノ内線なのでしょう?
で、B2Fが新幹線コンコースか?

2006年09月 ユウキ撮影


新宿B3F

京王新線(都営新宿線)の西新宿側(東側)のエレベーターは窓があります。
ここからJR側が見えます。
B3Fは新幹線ホームの階でしょうか?
実際にはホームは作られていないらしいけど空間はあるのかも?
(ちょっと上下の高さが足りないか?)
成田新幹線東京駅も空間はかなり前に出来ていた訳ですし(現在の京葉線)。

高島屋タイムズスクエア工事前の画像

2006年09月 ユウキ撮影

  

ナゾチカ

帝都東京・隠された地下網の秘密

洋泉社「帝都東京・隠された地下網の秘密」 秋庭 俊 著 2002年12月刊
これ面白いですよっ! トンデモ本No.1ですね。意図的に地下が隠されていると言う仮説がっ! 
知られざる地下開発を扱ったノンフィクション風の本というのは初めてかもしれず、衝撃的でした! 

公表されている地図の地下が実際とは違っている! 意図的に改描されている! これは政府が伏せているのだ! 
 次々と証拠の断片を考察して行く。
新しい地下鉄なのに銀座線並にトンネルの壁が古い路線がある。実は戦前から銀座線以外も既に作られていた。
駅のホームやカーブが変だ。首都高4号線は地下鉄の流用では。
丸ノ内線茗荷谷ー後楽園が地上を走るのは既に春日通り地下に何かあるから。そして春日通りの延長、御徒町陥没事故の場所に大江戸線が作られた。
丸ノ内線で大手町から東京へ右手の線路が駅の裏にのびてゆく。護国寺に未供与の線路。
有楽町付近はルートが再三左右に変更されて工事されている。工事をしたかったから。
丸ノ内線赤坂見附−中野坂上は戦前からあった。南北線の溜池山王駅は昔から作られていた。
大江戸線は昭和に作ってあった地下施設の地下処理でルートがなされている。
都営1号線(浅草線)は新橋−品川は銀座線建設時に作られていた。
都心の地下駐車場を結ぶと戦前の地下鉄計画ルートにだぶる。
関東大震災の街路計画。
 こんな感じなので読むとかなり面白い。着目点が素晴らしい。

ノンフィクションだと思って真剣に読んでみる

興味を持って詳しく読もうとすると・・・わからないのではなく読みにくい。
わざとではないかと言うほど何故か判りにくく書かれている。地図を2冊対比させながら読んでも読みにくい。だぶって書かれた文章も多いし。編集さんとか付かなかったのか?
P.108 と、P.289、P.292 は続いてるはずなのに別々に書いてある。出版出来なくなるからと伏せてあったり。
P.119 の丸ノ内線や千代田線に分岐したり合流したりする線路を探したが・・・んなものは無い!
なんか変だな? 釣られたのか? 

1,900+TAX でも良く売れたのか、ダイジェスト版的に版型も大きく写真を増やした本も後に出ました。
「2」も出たようです。さらに他の出版社から文庫化もしたようです。どんどん出ました。
私は題字の1冊しか所有していませんが、さらっと見た感じ同じような内容。政府によるなんたらの結論は出ていなかったと思う。

帝都東京・地下の謎86 洋泉社

私はメトロに乗車してこの書籍の分岐して行く線とかを探しましたが存在しない事を確認しました。
仮営業した萬世橋駅が神田までのルートとは別にあって、後に政府専用地下鉄として使われたとあるのです!
旧万世橋署の下に駅があってさらに先に伸びていると言う。
鉄ヲタなら誰でも萬世橋駅は本線上の片側に仮営業した駅だと知っているのに、こんな間違いと言うか嘘を書くのか。
自身が書いていた丸ノ内線はお茶の水から神田を目指していたとか神田駅は二階建てでB1から東京へ伸びているとの関連は書かれていないのも不思議だ。
現在の本線上に駅跡が無いわけだが、無い物の証拠写真がこれだ
無い場所に在るわけですから二手に分かれる話は妄想である事が証明出来た。
間違いを真実と信じる人がいると良くないので、あえて検証したわけだが、真面目になっちゃいけなかったのかな? 
当初は「ノンフィクション」の書籍かと思って読んでいたのだが、ノンフィクションにしては間違いが多すぎる。「フィクション」なのか? 

大東京の地下99の謎 二見書房

自身集大成というのが2006年11月に出ましたが・・・表紙からして嘘じゃん。
今も残る閉鎖された地下鉄「萬世橋駅」って、これは交通博物館中二階じゃねえか! 
文章の方はだんだん読みやすくなってきているかもしれない(このまま行けば雑学文庫並みになるかも)。
しかもまた地下の謎86と同じ事を書いている。旧万世橋署近くに駅があって今もレールが撤去されずに分岐しているだと。
どういう事なのでしょう? 変なのを沢山見つけて自分の仮説が正しいと思いこんだのでは・・・
そして見つからない、整合しない点は政府が隠していると? 
鉄道以外でも、隠されているという施設を探すと、その施設のデータが公開されていて正体がわかる例がいくつも。
フィクションならともかく、ジャーナリスト名乗るなら実地に調査して欲しい。
この書籍はノンフィクションだと思って読むから面白いのであって、フィクションだとちょっとなあ。
フィクションならスパイ潜入やバイオレンスが足りないよね? 

検証をしてみた方々が沢山居るようです。ネットやブログで間違いの指摘が続いています。皆ノンフィクションだと思って真剣に読んだのでしょう。
やはりフィクションなのか? ノンフィクションなら妄想? 

そうだとしても着目点は良かった。この本のおかげで'70年代から長年研究していた廃線跡を別の見方で楽しむことが出来そうです。

実際、これらの本が考え方に与えた影響は大きかった。地下の謎の構造物を見つけると「共同溝が埋まってないか?」と、真っ先に疑るようになったマニアがちらほら。

幻の駅へ行く地下鉄マンガ「妖鬼妃伝」

ガラスの仮面で有名な「美内 すずえ」の1981年作品に「妖鬼妃伝」と言うのがあります。
もう20年以上前に読んだきりなので違うかもしれませんがこのような内容です。
ある地下には雛人形の世界があり、その世界を知ってしまった友人は地下鉄に飛び込まされて殺されてしまうホラー作品です。
で、その世界へは地下鉄で行くのですが、普段閉じているトンネルの壁が開いて走って行くのです。

第一人者の解説書

日本実業出版社「東京の地下鉄がわかる事典」2004年刊
数々の鉄道書を記している青木栄一氏(地理学が専門の教授)の本は一般人が理解出来て興味を持てる形で詳しく書かれています。
この中で、丸ノ内線後楽園駅茗荷谷側の電留線は当時の5号線計画後楽園駅進入の跡ではないか?とある。

スカパーで

「地下鉄建設の証」君島光夫 著 2000年12月刊 元・都交通局建設工務部工事課
早川徳次の研究である「地下鉄建設の黎明期」1997年刊は資料だけっぽかったが、
証の方はかなり専門っぽかった。資料写真が豊富なのだが面白くない。かなりぶ厚い。
2006年年末、ヒストリーチャンネル20世紀のファイルから第92回「東京地下鉄物語」で君島氏と青木氏が出ていました。

踊る大捜査線 交渉人 真下正義

踊る大捜査線の別ストーリーみたいので2005年に映画が公開されました。
試作のフリーゲージトレイン「クモ E4-600」が遠隔操作で乗っ取られて地下鉄線を走り回る話です。
この時、「脇線」という秘密のルートの存在が明らかになりますが、「短絡線」に相当する新語でしょう。
「ダンパ」と言うのは、ダイヤの乱れを調整したり出来る設備か何かなのかな?

  

謎の分岐と謎な空間

トンネルの中はコンクリートの壁が続くだけじゃないんです。
実は短絡線の分岐があったり、地下車庫があったり、廃駅跡があったりなんですよ。

2007年12月01日のTV「タモリ倶楽部」番組内で短絡線を走る団体列車が仕立てられトンネル内の映像がっ!

市ケ谷駅の壁が

有楽町線市ケ谷駅には南北線につながる渡り線があったのです。

他にも・・・

2006年01月28日 ユウキ撮影


三越前駅

分岐じゃないけど、こうなってると気になってしまう。
1989年から1990年のわずか1年間だけ終着駅だった駅です。

2006年06月17日 ユウキ撮影


押上駅

押上駅は島式2本4線で外側2線が東武直通です。
内側2線は折り返し用のホームになっていますが、その先は画像のようになっています。
葛飾区方面へ延伸する時使うのでしょう。
荒川は鉄橋で越すのが基本だから土地の問題で難しいでしょうねえ。

2006年07月 ユウキ撮影


住吉駅

有楽町線支線が作られた場合、この住吉に合流します。

2006年07月 ユウキ撮影


赤坂見附

丸ノ内線と銀座線の渡り線です。
赤坂見附駅の国会議事堂前、溜池山王側にあります。
ここから銀座線が丸ノ内線に乗り入れる事が出来ます。

2006年07月 ユウキ撮影

実相寺昭雄氏

実相寺昭雄氏と言えばウルトラマンなどの監督をして有名だったが、JTBから「昭和電車少年」(2001)と言う書籍を出している。
この冒頭P.6で赤坂見附駅の様子が述べられている。
まだ銀座線しかなかった時代、赤坂見附駅は上下二層の駅でホームの向こう側には闇の空洞が広がるばかりだったそうだ。
この時点では未成線だったわけだがすでにトンネルがあった事が知られていた訳です。


千代田線と有楽町線の連絡用短絡線

桜田門

桜田門駅永田町側でトンネルを見る事が出来ます。
右へ行く二本が有楽町線、左へクロスポイントを跨いで行く1本が短絡線。
短絡線は千代田線霞ヶ関駅へカーブで向かいます。
この短絡線により、有楽町線と千代田線で電車を回送したり出来ます。

2006年07月 ユウキ撮影


霞が関

こっちはホームから少し進んだところで分岐

2006年07月 ユウキ撮影


池袋

要町側の画像だったかなあ???忘れた。留置線かな?

2006年07月 ユウキ撮影


千川

小竹向原側に保線用引き込み線。
ここはホームの横に急行通過が出来るような感じで空きスペースがある。
小竹向原手前では地下複々線みたいになってます。

2006年07月 ユウキ撮影


新線池袋

13号線工事が進んでいます。

2006年07月 ユウキ撮影


新線要町

有楽町新線にも駅が作られていますが使用されずに通過しています。

2006年07月 ユウキ撮影


新線千川

有楽町新線にも駅が作られていますが使用されずに通過しています。

2006年07月 ユウキ撮影


王子神谷

志茂側です。
王子検車区への線路が見えます。
車庫は神谷堀公園の下にあります。

南北線誘致時に赤羽岩淵駅から埼玉ではなく現在の西が丘サッカー場へ延ばし車庫を造る話があったそうです。
そのルートは旧陸軍兵器廠跡への軍用線跡を使い兵器廠跡(現・西が丘サッカー場)を車庫にしようとしたのです。
兵器廠跡には貨物ホームがS30年代まで残っていたようです。
廃線跡は今もたどれます。新幹線下からしばらくはそのままの状態、そして緑道になります。

2006年07月 ユウキ撮影


不動前

東急目黒線、ここは地上駅だけどおまけ。
深夜の工事で一気に地上線から地下線に切替ました。
これは地下化直後の画像。

麻布十番−白金高輪間には真ん中に留置線がある。

2006年07月 ユウキ撮影


武蔵小山

急行運転に備えて。

2006年07月 ユウキ撮影


銀座一丁目

互い違いな二階建てホームを出るとこんな光景が!
東京メトロで一番の景色ですよ!
新木場行きの先頭車から見ているとパラグライダーで降下するような感じ。
右下に上り線を見つつ降り立ちます。

2006年07月 ユウキ撮影


豊洲

真ん中に支線用のスペースが

2006年07月 ユウキ撮影

豊洲

月島側には本線の間に留置線が1本、空き空間が1本。

2006年07月 ユウキ撮影

豊洲

辰巳側はコンクリで塞がれていますがハッチがあります。 よく見ると上下線でホームの高さが異なります。下り(辰巳方面)が低くなっています。
支線は下り線を跨いで住吉駅を目指すのかな?

2006年07月 ユウキ撮影

豊洲

新木場側にだけこのような保線用引き込み線部分が。
やはり開削で作ってあって支線のオーバーパス区間は出来上がっているのでしょう。
上り線はシールドだったかな?

2006年07月 ユウキ撮影


幻の新橋駅

幻の新橋駅から渋谷方面行きの線路に合流する場所です。
この辺だともう内幸町の下辺りになるのでしょうか?

2006年09月 ユウキ撮影


溜池山王

旧線跡です。
銀座線溜池山王駅は最近出来た駅で島式ホームです。
駅は南北線開通と共に出来ました。
旧線跡の外側に現在の線路があります。

2006年09月 ユウキ撮影


新宿

丸ノ内線の荻窪方には引き上げ線があります。
写真の車両は新宿止まりの回送電車が引き上げ線にいる所です。
新宿止まりは真ん中の引き上げ線に入ってから池袋行きになります。

2006年09月 ユウキ撮影


中野坂上

真ん中の支線は少し進むと複線になります。

2006年09月 ユウキ撮影


北綾瀬

元東西線の5000系3連ワンマン運転
綾瀬駅0番ホームから出ています。
北綾瀬駅の環七を越したところに車庫があります。

根津−町屋間はホームが二階建て構造。

2006年07月 ユウキ撮影


都営大江戸線都庁前駅

12号線はのの字運転なので都庁前行きというのがあります。
飯田橋方から来た電車が3番線降車専用ホームに入り、終点。
画像の引き上げ線へ入って、2番線に戻って飯田橋方面へ。

2007年01月 ユウキ撮影

都営大江戸線汐留駅

浅草線との渡り線です。
大江戸線はリニア推進なので、普通の浅草線へは機関車が牽引します。

2007年01月 ユウキ撮影

銀座線上野車庫へ

上野−稲荷町間に上野車庫への分岐があります。
分岐の上野寄りには留置線があり、トンネル点検?の車両が止まっていました。

2007年05月20日 ユウキ撮影

  

編成増強の跡

甲州街道の上を走っていた市電みたいな京王帝都電鉄は地下ルートで新宿駅に入る郊外電車になります。
京王新宿駅は当初18m車6両編成が1〜4番線に入る造りでした。
その後輸送量増大に対応しホームが延長されたのですが、当時の線路跡がホームの下に残っています。

今は無き4番線跡

現在、京王線(都営直通の新線ではない)は3番線までしか在りません。
輸送量増大、編成増強の為にホーム延長を試みるが終端部を駐車場側に延長する許可は出ませんでした。
そこで仕方なく4番線を潰して長いホームを作りました。

真ん中の降車ホームから編成真ん中当たりの3番線ホームの下を見ると分岐部跡の枕木とレールが見えます。
逆に、降車ホームから編成真ん中当たりの2番線ホームの下を見ると分岐部跡の枕木が見え、コンクリートの土台は旧ホームの側壁か?

2006年 ユウキ撮影

  

荒川に穴は開けられない

荒川放水路(荒川)にはトンネルを掘ってはならない事になっているので地下鉄でさえ地上に出て鉄橋で渡ります。

岩淵水門で隅田川が分かれた後の人口の放水路側では、ずっと地下を走ってきたTXや新宿線でさえ地上に出て鉄橋で渡ります。
強風になるとすぐ運転中止になってしまう河口付近の東西線や京葉線も鉄橋です。

工事中の荒川の鉄橋 [9KB]

工事中の荒川の鉄橋

東大島−船堀間
しばらく東大島駅が終点で荒川の土手の部分で高架が切れていました。

昭和?年 P:yuuki

船堀駅開業除幕式 [8KB]

船堀駅開業除幕式

たしか開業日の前日だったと思う。
最近は背後にタワーが出来たり凄いです。
駅が出来るチョット前までは小川でいかだ遊びする風景だったのに。

昭和58年12月22日撮影 P:yuuki

開業記念列車 [13KB]

開業記念列車

昭和58年12月22日14:45 撮影 P:yuuki

  

地下鉄工事空撮

地下鉄は主にトンネル工事が主体になりますが、空撮で見える場合も。

市ヶ谷駅付近 昭和49年

国土交通省カラー空中写真の昭和49年です。
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-74-15&PCN=C28A&IDX=40
江戸城外堀下の工事が空撮で見えます。
営団有楽町線(8号線):昭和49(1974)年10月池袋−銀座一丁目間開業
都営新宿線(10号線):昭和55(1980)年3月新宿−岩本町間延伸開業
開業がかなり離れているが同時に工事をする証拠でしょうか。
営団南北線市ケ谷駅は平成8(1996)年開業

  

13号線開通間近

池袋までは有楽町新線として出来ていてコンクリートの壁で止まっているが、その奥では工事が進む。

ポスター

13号線開通間近

2006年04月15日 yuuki撮影

8号の話

13号と関係のある有楽町線の経緯が紹介されました。
鉄道ジャーナル1月号 (通巻483)
◆鉄道・軌道プロジェクトの事例研究 57 西武有楽町線(8号線)設定の経緯 佐藤信之
五島の思惑で創られた営団に乗り入れるのを堤が嫌った事から。

13号線(副都心線)へ、和光市から東武鉄道も乗り入れるが、都営三田線での裏切り行為を考えると東武は酷い。

  

地下鉄電車の搬入

昔の漫才で地下鉄を何処から入れたのか考えると眠れなくなっちゃうってのがありましたね。

都営大江戸線が停車中

北側に流れる小名木川側から撮影。
JR貨物小名木川駅です。
搬入のため甲種回送されてきた都営地下鉄大江戸線の車両が停まっています。
ここから台車をタイヤに履き替えて木場公園の地下にある車庫へ運ばれます。

現在小名木川駅は廃止になり再開発で更地になっています。

2000年01月30日 yuuki撮影

  

横浜市営地下鉄、開業直前と幻の跡

横浜市営地下鉄の場合、謎はHPで公開されています。
何故2号線が無く、1,3,4号線なのかとか。

昭和47年、市電全廃の年に上大岡−伊勢佐木町が開通し、昭和51年横浜まで延伸します。標準軌第三軌条。

2006年現在、センター北駅に4号線が出来上がって試運転しています。リニアモーターで低い架線とめり込んだパンタが奇妙。

平成18年着工することなく廃線になった地下鉄がお隣川崎にありました。平成12年の運輸政策審議会答申第18号で計画。
幻の川崎市高速鉄道事業
1期整備区間は新百合ヶ丘−武蔵小杉間でした。2期が武蔵小杉間−川崎でした。
大元は地下鉄5号線計画(都市交通審議会(答申第9号)昭和41年 百合ヶ丘−大師河原)?
細い道路の下でも工事できるように可能な限り単線トンネルを上下式で作る予定でした。

関内駅の幻の3番ホーム

関内駅は2番線と4番線があり、1と3は無く、3の有るべき所に待避線があります。
桜木町方はトンネルが広くなっていたり妙です。
これは幻に終わった3号線本牧方面の乗り換えホーム跡なのです。

本来1号線は関内までで、3号線は本牧までの予定でした。
公式HPによると、高速道路工事が終わってから工事する予定でいたら、みなとみらい21線計画が出来て中止になったそうです。

2006年12月16日 ユウキ撮影

あざみの駅末端

終点です。
新百合ヶ丘へ伸ばす考えもあるようです。
普通、駅付近は開削工法で天井は平坦なのだが、ここはトンネル状。
やはり、新百合ヶ丘延伸やる気満々?

2006年12月16日 ユウキ撮影

工事中のグリーンライン

センター北駅です。
左に4号線グリーンラインのホームが見えます。
今度は第三軌条集電ではなく、架線?
滅茶苦茶架線が低いんですけど。
試作編成?は青い色を使ってました。

2006年12月16日 ユウキ撮影

隠しパンタ?

パンタグラフが車体にめり込むように隠されています。
10000形はリニアモーターらしい。

2006年12月16日 ユウキ撮影

新羽車両基地

この日で1000形、2000形が引退。
1000形は3両編成で保存されたらしい。
「踊る大捜査線 交渉人 真下正義」でここが爆破される。

2006年12月16日 ユウキ撮影

  

ホームドア設置・丸の内支線

ホームドア工事中

丸ノ内線は支線に続いて本線もホームドア設置が始まりました。
既に中野坂上駅は本線のホームドアが使用されています。
西新宿駅は壁の部分だけ設置が終わっていました。
ドア自体はまだ入っていません。
工事関係者がホームで見張りをしていました。
新宿駅はまだ壁も何も設置されていませんでした。

2006年09月10日 ユウキ撮影


3両編成

丸の内支線は6両対応?複線ですが、走ってるのは3両編成です。
方南町方はホームドアもあるけど開きません。

2006年09月 ユウキ撮影

中野新橋駅

007ロケ地です。
駅wikiによると、中野新橋駅が「007は二度死ぬ」のタイガー田中の秘密基地入口だ。
ホームは斜めにカーブしているはず。

支線の謎

本線の駅はM01〜M25で番号が振られています。
支線は、m05中野新橋、m04中野富士見町、m03方南町です。
方南町駅は終点で頭端式ホームの行き止まりです。先は地下立体交差の環七らしい。
行き止まりとはいえ、m01は京王線のある西永福なのだろうか?
萬世橋には番号振られていないからこっちは復活予定無しなのだろう。

2006年09月 ユウキ撮影

  

東京地下鉄深川車両基地

深川以外も色々。ここはタイトル通り地上の割合が高いコーナーです。

さようなら東西線5000系

ここはメトロ東西線の基地で、隣はJR貨物の越中島です。
車両基地の他、工場内も公開しました。

2007年01月27日 ユウキ撮影

転車台

工場には台車や車輪が載せられる転車台がありますが、
作業車両とはいえ車両が載せられる転車台もあるのは珍しいです。

2007年01月27日 ユウキ撮影

引き込み線出口

地下鉄の地上出口が右側の複線です。
左の非電化単線は越中島線です。
今では小名木川から越中島は構内扱いらしい?
小名木川駅は無くなってしまったが?
そうそう、0キロポストも今では亀戸にあります。
越中島線短くなったものだ。
左手ガソリンスタンドから向こうは未成線跡です。

2007年01月27日 ユウキ撮影


保線の車両

丸ノ内線の四ッ谷駅は信じられないくらい良い風景ですよ。
写真ではまだ駅舎に巨大なSマークが立っていた頃です。見えます?
ホームドア設置しないでいてほしい駅ですね。
江戸城の堀の跡で、中央線の上にあります。
左下のレンガは総武緩行線のトンネルです。
このような場所に本線に対して直角に保線車両が置いてあります。

ここは近くに都電の廃線跡があります。首都高のトンネルは都電のトンネル跡です。

2003年12月20日 ユウキ撮影


踏切

上野のバイク街近くには銀座線の車庫があり、踏切があります。
第三軌条の集電式で踏切があるってのは日本では珍しいかも。

2003年06月14日 ユウキ撮影


東京メトロ新木場車庫

向こうには東京湾の海が見えます。
手前には架線の無い非電化の線路もあって地下鉄なのに不思議な感じ。
レールセンターみたいでした。
線路を跨ぐ跨線橋「緑と海の橋」から撮影

2006年10月21日 ユウキ


駅じゃないよ

都営地下鉄新宿線の通る靖国通りにはこんな建物があります。

2007年06月 ユウキ撮影

  

偽物?

丸ノ内線と日立電鉄

なんか変な丸の内支線

幅の狭い銀座線ボディーなのでドアにはステップが付いていました。

現在、中野坂上駅ホームは天井が低くなって柱の色が変わっています。
6両対応路線ですが、今も3両編成です。

これの前は設計規格が仲間はずれな元東京高速100型が流されて使われていました。

年月日 yuuki撮影

本物

川越街道を走る?丸ノ内線685号

1992年 yuuki撮影

日立電鉄

元銀座線2100型に元日比谷線の台車を履かした。

2005年03月 yuuki撮影

1001?

黄色い銀座線復活!

1998年01月10日 yuuki撮影

元日比谷線

長野電鉄

2000年2月8日

  

おまけ

地下鉄以外も、地下ネタで。それと、写真撮れないけど雑学としてのおまけも。

東京には防空壕跡以外に、興味深い地下トンネル網が残ってるらしい事を知りました。
関東ローム層の台地を利用したもので、三田や、湯島などにかなりの数があり、今も少し残っているようです。
明治・大正期に補強された物にはレンガトンネルも存在します。

レンガ造りの下水道がJR神田駅近くに600m位あって今も現役で使われている。逆卵断面で、少量の水量時でも流速が出るのが特徴。神田下水という。

さよなら営団赤塚号

営団がメトロになると当然駅名も変更になるので記念列車が運転されました。

2004年03月21日 yuuki撮影

吉岡海底駅の公衆電話

世界一低い位置にある公衆電話です。
青函トンネル吉岡海底駅は新幹線工事でこの月に休止(廃止?)

2006年08月16日 yuuki撮影

地下?バス

レールはないです、トロリーバスですが地下なので?
架線から+と−を別々に集電して電気で走ります。
地下と言っても山の地下だから標高は高かったり。
写真は関電トンネルトロリーバスの2代目、200型です。
写真のように黒部ダム駅(停留所ではないらしい)はトンネルの中です。

1991年07月13日 yuuki撮影

地下神殿

首都圏外郭放水路

2006年06月10日

カミオカンデ

ニュートリノ観測をしたSK水槽の上部

坑道のトンネル内には鉱山トロッコも保存されています。

2006年11月03日

大和橋ガレージ

地下空間と言う物に、河の跡や橋の跡を利用している場合があります。
銀座晴海通りには三原橋という橋があり、川が埋め立てられた後もこの橋の下は映画館として利用されています。
秋葉原駅昭和通り口に、つくばEx工事まで船溜まりの跡が喫茶メトロとして地下にありました。
さらに船溜まりが神田川に入る前の橋跡にはその頃まで橋跡に地下横断通路がありました。

この大和橋ガレージも秋葉原近くにあります。
普通と違って一般には開放されていません。
橋跡が地下横断通路ではなく、駐車場として使われているのです。
八重洲とか川跡を地下駐車場にした例は沢山あるけど、これはちょっと珍しいかも。

江戸川区には新川と言う現役の運河の下に駐車場が作られています。

2007年02月 ユウキ撮影

大橋ジャンクション・遠心加速カタパルト

画像左側の高架が3号線です。右下は目黒川。

地下の環状線から3号線の高架へはループで稼ぎます。
環境対策で密閉型4層のループです。
加平インターのループとは規模が違います。
国立競技場グラウンドとほぼ同じ大きさ。
真円ではなく、オーバルなので難易度が高そうです。

ここは玉電の車庫の跡です。その後のバス車庫と周辺を利用。

2007年05月20日 ユウキ撮影

幻の首都高速10号晴海線計画地

入船橋付近。
現在、湾岸線から晴海まで作っていますが、ここが接続予定地でした。

さらに、5号線の早稲田出口は10号線計画の下り線の転用です。川越線(関越道)へつながる方の10号。
昭和50年代頃までは分岐準備だけの出っ張りでしたが、後に川沿いに高架を建設し早稲田出口を作りました。

詳しい続きは☆築地川と晴海線☆へ

2005年11月19日 yuuki撮影


後楽園ゆうえんち

後方では東京ドームの建設工事が進んでいます。
丸ノ内線も500型?赤い懐かしいタイプですね。
ヒーローが登場するためスタンバってます。

1986年 ヒーローショーを見たい方はこちら

現在の同所


地下鉄と関係ないけど、お台場の再開発前の画像もレアですよ

本を出版しました!  楽天市場 東京の「痕跡」解説

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